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東光寺 (甲府市) : ウィキペディア日本語版
東光寺 (甲府市)[とうこうじ]

東光寺(とうこうじ)は、山梨県甲府市東光寺にある寺院。山号は法蓋山(ほうがいさん)。臨済宗妙心寺派。
本尊薬師如来甲府五山のひとつ。
== 歴史 ==
創建年代は不明だが、寺伝の由緒書によれば平安時代保安2年(1121年)に源義光(新羅三郎)が国家鎮護と仏法繁盛の祈願所として諸堂を再興し、寺号を興国院とした。その後荒廃し、密教寺院であったが鎌倉時代弘長2年(1262年)に、配流されていた渡来僧の蘭渓道隆が禅宗寺院として再興し、寺号も東光寺と改める。江戸後期の『甲斐国志』では再興年を鎌倉時代の文永年間としている。また、官寺として執権・北条高時から諸山位に次ぐ寺格を与えられ(鎌倉市立図書館所蔵文書『崇鑑北条高時公帖』)、五山十刹の次に位置。室町時代応永27年(1420年)には、在所不明の大林寺から梵鐘が移されている。
戦国時代天文年間には臨済宗妙心寺派に帰依していた甲斐国国主・武田晴信(信玄)による庇護を受けて再興され、山号を法蓋山、寺号を東光興国禅寺と改めた。陣夫役の免除などを受けた。この頃の住職・藍田恵青は中興開山と位置づけられている。
高白斎記』に拠れば、天文11年(1543年)7月の武田氏のよる諏訪侵攻で諏訪領主・諏訪頼重は甲府へ連行されて自害しているが、『塩山向獄禅菴小年代記』に拠れば頼重は当寺で自害しているとされ、当寺に幽閉されていたと考えられている。また、永禄8年(1565年)には謀反の疑いをかけられた武田家嫡男・義信が幽閉されて永禄10年には死去しており(『上杉家御年譜』)、裏山墓地には頼重や義信の墓所がある。天正10年(1582年)、織田氏の侵攻で武田家が滅亡すると焼き討ちに遭い、藍田恵青らも兵火で死去し、諸堂や文書類も焼失。天正19年4月5日には加藤光政から、慶長8年(1603年)には平岩親吉から禁制を受けている。
江戸時代には徳川氏により寺領と山林の安堵を受けたが、明治の廃仏毀釈の影響を受け、1945年昭和20年)の甲府空襲では再建本堂を焼失している。諸堂のうち、仏殿(薬師堂)は入母屋造檜皮葺屋根の中世以来の建築様式を残し、国の重要文化財に指定されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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